|

メリー・モナーク・フェスティバルの始まり
1963年、第 1回目のメリー・モナーク・フェスティバルは、ハワイの人々の伝統文化を守り受け継いでいくことを目的に行われた“お祭り”でした。
フラを現在のように競技会の形にしたのは、第 8回目となる1971年。この時から単なる“発表会”ではなく、表情、表現力、衣装、ハワイ語(発音)などの審査項目から点数をつけて競われるようになりました。
この大会での受賞は、ハラウ(フラ教室)にとってもフラのパフォーマー達にとってもこの上ない喜びで、大変名誉なことです。
現在のメリー・モナーク・フェスティバルは、「ミス・アロハ」、「ワヒネ(女性)」、「カネ(男性)」と3つの部門に分かれていますが、競技会形式になった当初は、参加ハラウ(フラ教室)はたったの8つ、
「ミス・アロハ」と「ワヒネ(女性)」部門のみというスタートでした。
その後、1976年に「カネ(男性)」部門が新たに加わり、更に大きなフラ大会へと成長。1978年にはもっと多くの人に見てもらえるように、現在のエディス・カナカオレ・テニス・スタジアムにその舞台を移しました。
メリー・モナークという名前の由来
「メリー・モナーク」という名称は、19世紀にハワイ国王として在位していたデビッド・カラカウアのニックネーム「メリー・モナーク(陽気な王様)」に由来します。
華やかなことが大好きで、当時キリスト教の宣教師達に禁止されていたハワイの伝統文化フラや音楽の復興に力を注いだ功績を讃えてのことです。
|
|
 |
|

|